Dancing with an Angel

言葉を見つける追いかけるつかまえる

デヴィッド・ボウイ 76年のインタビューを読んでの感想

デヴィッド・ボウイのベストアルバム、

『ナッシング・ハズ・チェンジド』を発表年代順に聴いていると、

70年代の曲ってすごいと思ってしまう。

もちろん80年代以降も、素晴らしい曲はたくさんあるのですが、

70年代はもう別格なのです。

並外れたとか、突出しているとか、そんな言葉を並べても足りないくらい。

70年代に出したオリジナルアルバムが、それぞれベストアルバムだと言ってもいいくらいです。

 

そんな名曲を70年代に出し尽くして、

押しも押されもせぬスターとなってしまったアーティストのその後の身の処し方とは?

常々気になっていたのですが、

ロッキング・オン11月号、デヴィッド・ボウイ76年のインタビュー記事を読んで少しわかった気がします。

 

成功した場所に座り続けるのではなく、かといって漫然と地道にやり続けるだけでもない。

(いやらしい言い方ですが、)ツアーで稼いだり、売れそうなアルバムを作って儲けたお金で、

過去にこだわらず、今本当にやりたいことをやる。

この時点で、ショウビジネスの世界で細く長く生きていく覚悟ができていたのだと思います。

 

そして、ボウイさんがいかに戦略的な活動をしてきたのか理解できたような気がします。

浮き沈みの多い世界では、そうしなければとっくにいなくなっていたのでしょうね。

それがいつも成功したとは限らないですが(失敗の方が多い?)、

それでもあきらめずに新しいことに挑戦していったことは、

その後の活動を見ればよくわかります。

 

 

矛盾しているようですが、

純粋にアーティストでいつづけるためには、マネジメント能力を持つことも必要。

スターになるに従って人の出入りも多くなり、

そのことで起こる人間不信がそうさせたと言えますが、

自分でマネジメントしたことも、長くやってこられた秘訣のひとつであると思いました。

 

1976年にデヴィッド・ボウイが何を考えていたかを知ることができれば

少しは彼という人間を理解できるのではないか、と思いながら読みましたが、

想像以上に、冷静に自己分析ができる頭の良いひとでした。

 

インタビューは、された人の主観で語られるものです。

もし当時周りにいた人達がデヴィッド・ボウイを語れば、悪いことも出てくるでしょう。

わがままとか自分勝手とか、冷酷とか。

予想以上に売れてしまうと以前からの仲間など、

周囲との軋轢が生じるのはしょうがないことです。

 

デヴィッド・ボウイは“チェンジ”していくひとですから、

創作活動に必要がないと判断すれば、人間関係もその度に刷新される。

変わらないものと変わっていくものが残酷なくらいはっきりしています。

周りは不満があったと思いますが、そうだとわかっていても

それ以上の魅力があるから引き付けられてしまうのです。

 

 

 

ボウイのインタビューはあまり読んだことがないので、

これから探して読んでみたいです。

頭のいいひとのインタビューってとにかくおもしろい!