デヴィッド・ボウイ76年インタビュー 感想②
ロッキング・オン11月号、デヴィッド・ボウイ1976年のインタビュー記事を読んでの感想。
インタビューの中の、ある言葉がとても腑に落ちたのです。
文脈上の前後関係があるので、その言葉だけここに書くのは気が引けるのですが、
ちょっと紹介させてもらいます。
〈アーティストは、生き残ることに関係する情報をみんなに提供する〉
というような言葉の後に、
「ロックンロールは生き抜くこととつながるものに違いないし、生存本能は音楽も歌詞も、
ほかのあらゆるものも超越するはずだ」(ロッキング・オン 2016年11月号より)
と、ボウイさんは言っています。
なかなか難しいことを言っているのですが、私はこの言葉を
〈ファンは生き抜く知恵をアーティストの姿勢から得る〉と解釈しました。
ファンは歌も聴くけど、それ以上にアーティストの生き方を見ているのです。
「生きる知恵」は学校で習うけど、「生き抜く知恵」は学校では教えてくれない。
ロックンロールを通じて学ぶのだ。
アーティストにはそういう役割もある、ということをわかっていたのだと思います。
責任の大きさや、影響力の怖さも含めて。
〈生存本能は音楽も歌詞も、ほかのあらゆるものも超越するはずだ〉
アーティストとしての浮き沈みや、薬物依存からの脱却、病気を経ての復活など、
彼の人生は、“生き抜くこと”を何よりも雄弁に語っていることがわかります。
〈音楽も歌詞も超越する〉のはつまり、デヴィッド・ボウイ自身の存在に他ならない。
彼こそが作品であるということは、そういうことだったんだと納得しました。
亡くなる間際まで、この言葉とともにあったのだと信じられる気がします。
デヴィッド・ボウイがもし、
〈生き残ることに関する情報をみんなに提供〉していたとしたら、どんなことだろう?
何度間違ってもいいし、
周りに見えている自分を裏切って、もっと多面的に生きていい。
肯定はしないけど、否定もしないからそのまま生きていけばいい。
そして、生涯を通してひとは変わっていくことができる。
変わっていくことが生き抜くことなのだと。
今の私にわかるのはこれくらいです。
本当のメッセージはわかりやすい場所にあるのではなく、
自分で見つけるものだと思うので、
これからも探していきたいです。