David Bowie『ラザルス』「killing a Little Time」「When I Met You」
#3「Killing a Little Time 」
物理的な痛みが精神的な痛みとなり、
どちらがどちらに作用しているかわからなくなる程、ひどく混乱している。
他人の痛みなんてどうせわからないんだから、共感なんてしてほしくないという
怒りの感情をどこへ持っていっていいかわからず、自暴自棄になっている。
そういう自分を客観視できてはじめて書ける詞です。
魂をえぐるようにして、泣きながらでないと書けないつらい作業だと思います。
<死ぬまで少し暇つぶしをしている>というような感覚は、
治らない、とわかっている病を抱えているひとにしかわからないものなのではないでしょうか。
あと、ブックレットにもありますが、“Just a lover's grave”のloverの謎。
CD1では、この次の曲が「LIFE ON MARS 」です。
舞台のストーリーの流れと合わせて考えると、魂を導くものの存在が関係してくるのではないかと思うのです。
この舞台のテーマは、「自分が死ぬ時、誰に魂を導いてほしいか」だと思っているのですが、
曲にその答えが見え隠れしているような気がしてなりません。
ボウイさんにはどうしても連れていきたい、自分の魂を導いてほしいひとがいるように思えてしかたがないのです。
#4「When I Met You 」
サビ部分の畳み掛けるような気持ちの良いコーラスで出会った時の衝撃について、掛け合いをしています。
一人二役的な演劇的なやり取りは、得意の感じです。
「君」と「僕」がいろいろなひとに置き換えられます。
ニュートンとボウイ
ボウイとニュートン
兄と弟
ボウイとボウイ(ペルソナだったり、自分自身だったり)
魂の片割れ的なひととボウイ
イエスとラザロ
聖書に出てくるラザロが、舞台『ラザルス』にどう関係しているのかわからないですが、
イエスがラザロを生き返らせたように、ニュートンの存在がボウイを救ったともいえるし、40年も故郷の星に帰れないニュートンをボウイが帰らせてあげたともとれるし。
全部が全部当てはまるというわけではなく、
一部そういうふうにも取れるという解釈にすぎません。
ボウイさんに影響を与えたいろいろなひとが
代わる代わる出たり入ったりしている、人生のような曲だと思います。
舞台『ラザルス』のニュートン目線では、
ニュートンが自分の魂を導いてくれるものとの出会いを歌った曲、と考えるとのが一番しっくりくると思いました。
ニュートン=ボウイ、と重ねて考えられる部分もあります。
曲の中盤
“The edge had become
The centre of my world
The scenes of my life
The streams of debris
Neither wounds of a friend
Nor the kiss of a foe
The peck of a blackened eye
An eye for the crowd”
だと思うのですが、
この部分は、
自分とは無関係だった世界の中心に自分の世界を作り成功するも、次第に堕落していく。
全て失ったが、ほかのものを見るためでなく、群衆を見分けることができる目で群衆の中から「君」を見つけた。
という、次の段落への伏線ともとれる内容になっているのでは。
映画「地球に落ちて来た男」では、ニュートンは確か透視能力があったような気がします。
そういう特殊な目だから「君」を見つけることができたのでしょうか。
美しいけれど、変わった“目”を持ったボウイさんと共通する部分でもある、とボウイ寄せして考えるのが当たり前になってきました。
そして、これはもはや私の遊びですが、
“Nor the kiss of a foe”(敵のキスでもなく)
の〈foe〉を、〈friend of earth〉の略と解釈するのは、宇宙人のニュートン目線でどうでしょうか。
その後「君」と出会って「僕」の魂が覚醒されていく、というストーリーが展開されます。
ニュートンとボウイ、どちらを主人公にしても当てはまる作りになっています。
ボウイさんの存在ってなんてSFチックなのだろう、と改めて思ったり。
こういうストーリーって時代や国を問わず、普遍的に愛されるテーマなんだなと思いました。
それだけひとというのは、特別な誰かに時間空間を超えても自分だけをみつけ出してほしいのでしょう。
そして謎の“she”が誰なのか。
ニュートンにとっては、天使なのかもしれませんが、ボウイさんの場合は恋人だったり家族だったり、見当違いだとしてもなんとなく当てはまってしまうのが不思議なのです。
この舞台のストーリーについては、
「ニュートンが天使を探す話」くらいしか知らないので、間違って解釈しているかもしれません。
どの曲も、酸素は足りていたのだろうか?と心配になるくらい、口から息が漏れているような歌いかたをしています。
一曲歌う度に気が遠くなりそうなくらいしんどかったのでは。
『★』はラストに向かうにしたがって悟りのようなものを感じますが、
『ラザルス』は、この時期もう一度蒸し返すことで「実は安らかに眠ってなどいない」感をかもし出したいのかもしれません。
泰然と存在しているようでいて、この苦しみをわかってほしい、ひとりじゃとても立っていられないという弱さと、生きることへのあきらめの悪さから見える生への渇望。
どちらも同じくらいの激しさで、聴く者に迫って来るのです。