『ラザルス』CD1 舞台サントラ感想①
舞台『ラザルス』のサントラ(スタジオ録音)の感想を書いておきます。
単純に楽しいです。
俳優の歌唱力に依る部分が大きいですが、
楽曲がちゃんとミュージカルになっているのが不思議なところ。
歌い手やアレンジによって、
場面場面に寄り添うことができる変幻自在な楽曲なので
違和感がありません。
ストーリーの細かい部分はあまり良くわかりませんが、
自分の人生と、『地球に落ちて来た男』のニュートンを重ね合わせ
後悔やら、置きっぱなしだったものをすくいあげ
自分で作った曲を使って、
責任を持ってニュートンを天に還したのでしょう。
ボウイさんの自分なりのけじめのつけ方、
そんな風に私には思えます。
ボウイ展は、事実確認や作品の考証以外は本人は関与していないと聞いていますが、
こちらは、がっちり自分の作品や人生と向き合い
自らが関わった最後の仕事であると思います。
ストーリーでは、
安らぎを得るためにニュートンと“GIRL”は
旅に出ますが、
ボウイさん自身の願いが投影されているのではないかと
思わずにはいられません。
安住の地を追い求めるのは、
デヴィッド・ボウイの一生のテーマだったのかもしれません。
裏を返せば、生きている限りは安住の地などない。
そして、自分がもし死んだとしても
旅は終わらない、というメッセージにも思えます。
彼に寄り添う“GIRL”とは?
彼女は
生きているのか、死んでいるのか、瀕死の状態なのかわかりません。
もしかしたら、体は死んでいても魂はさまよっていたのかもしれません。
成仏できていない状態に近いかも。
そんな彼女は、ニューヨーク二番街のアパートの窓辺にいたニュートンを
「見つけた」のです。
「When I Met You」
はこの出会いを想起するような曲です。
ニュートン父娘の会話を
GIRLが話すくだりは、ラストシーンにつながり、
グッときます。
なぜ、彼女は他人の父娘の会話を知っているのか?
彼女はニュートンの娘なのでしょうか。
そんなことは、もうどうでも良く、
例え、血がつながっていなくても愛していく覚悟、
というメッセージも読み取れます。
最後の展開はどうにも、理解し難いですが、
少女の魂を成仏させ、一緒に旅を続けるという···。
ニュートンはそこまでして、彼女に新しい命を与え共に生きることを選んだ。
そうすることでしか、生きることも死ぬことも出来なかったニュートンは
安らぎを得ることが出来なかったのでしょう。
ふたつでひとつの魂。
一心同体になることで、救われたとも思えるし。
最期は誰かに導かれ、導きたい。
ひとりで死ぬことの恐怖を感じずにはいられません。
ひとりで死んでいったひとの魂に寄り添いながら
後悔と悲しみを昇華させる
ボウイさんの個人的な思いが反映されているような気がします。
ひとことで言うならば、
さ迷う人びとの、さ迷う魂の救済の物語と理解しました。
記事タイトル通り、
楽曲の感想を書こうと思ったのですが、
途中からストーリーの感想になってしまいました。
楽曲の感想は改めて書きます。