ボウイ展 感想
ボウイ展で気になった言葉を書いておきます。
この言葉で納得し、こんがらがっていた糸がほどけた感じ。
目に飛び込んで来た時、直感的にこの言葉だ。
と思ったような気がします。
“音楽はメッセージが被っている仮面だ
つまり音楽はピエロで、パフォーマーである僕がメッセージなんだよ”
ボウイさんは「サーカスで一番美しい道化」の衣装を欲しがっていたということから、
音楽=美しい道化、という外側に惑わされず
その中身まで見る目が必要だと、訴えていたのだと解釈しました。
〈1890年代のヨーロッパでは、ピエロはアーティストの分身を象徴する存在〉
ということからピエロという分身、つまりペルソナは別人格などではなく自分自身でもある。
自己とペルソナを完全に切り離すことはできない。どちらが正しい自分、とかではなく、
誰しもがペルソナを内包して生きているのだということ。
「音楽は表現媒体にすぎない」という発言は、
つまり“本質を見る”
これは最後のアルバム『★』まで一貫しているメッセージで、デビュー時からブレていない彼のスタイルだと思います。
そして音楽について分析されることを良しとしないとわかり、ごちゃごちゃ考えないほうがいいんだとボウイさんに言われてしまったようで。
難解な歌詞は意味がない···。
ではなく、その言葉自体を直接的に受け取るのではなく、後ろに隠されている「思い」を読み取ってほしい。
それこそが本質、と解釈しました。
意味がないことに意味を持たせ、次第に本物になっていく。それがいいことか、悪いことかはおのおのが決めること。
そして惑わされず物事の本質を見極める。
例えば展示のひとつに、ボウイが口紅をティッシュオフしたティッシュがありましたが
よく考えればそれが本物という証拠はないわけです。
本物であろうが、偽物であろうが、それ自体に意味はない。なぜそんなどうでもいいものを置いたのかに意味があるのでは。
そして、もし偽物だったと知った上でそれをどう見るか?突きつけられるものがあります。
全てはこちらの受け取り方次第です。
ボウイさんに
「そんなもの見てどうするの?」
とでも言われているような気がします。
冒頭の
“音楽はメッセージが被っている仮面だ
つまり音楽はピエロで、パフォーマーである僕がメッセージなんだよ”
ピエロの泣き笑いの奥にはどんな感情があるのか
音楽の中に何が隠されているのか
耳をすませるように聴かないと
メッセージは見えてこないのかもしれません。
華やかな衣装に惑わされず、どこまで真実に辿り着けるか。迷宮にいることを楽しんだ者勝ちです。
デヴィッド ボウイ自身がメッセージだということ、そして今現在もそうなのだということだと思うのです。