2つの最後のDavid Bowie is
渋谷Bunkamuraル・シネマで、
ドキュメンタリー映画『David Bowie is 』を観て、そのまま天王洲アイルへ移動して最後のボウイ展へ。
19時前に映画が終わり、渋谷の人波をかき分け急いで駅へ。
埼京線に乗り最終入場の20時前に到着。
この時間に行けて良かった。激混みの2、3時間より空いている1時間の充実の鑑賞。
映画は想像以上に良かったです。
V&Aのキュレーターがボウイの思考を理解し、いかに形にするかの創意工夫や苦労を感じました。
ボウイさんが言ったであろう、”好きにやっていいよ”は企画する人間の創造力を試されているのだと。
本人が口を出さないということは、かなりのプレッシャーだったと思います。
山本寛斎氏登壇。
ボウイのショウで、自分の作った服をボウイがステージで着ているのを初めて見た時には涙が出た…にはグッときました。日本人の創造力は世界に誇れる。もっと日本人は世界で自信をもっていい。
それこそがボウイが愛したものなのだから。
この映画はボウイさん生前の作品です。
インタビューされたひとたちの、あとは本物に会うだけ!という言葉が胸を打ちました。ファンは彼が再びステージに立つことを信じていたのです。
映画が終わり、客席の明かりがついてもしばらく誰も席を立とうとしない。
いつまでもデヴィッド ボウイの存在を感じていたい。皆の思いはひとつなのだという空気感が伝わってきました。
この映画は、「DAVID BOWIE is 」〈ボウイ大回顧展〉の紹介にとどまらない、
ボウイの存在を出さずに、いかにボウイという人間を説明できるかの試みであり、
ひとりのアーティストのためにどれだけの人間が動いたか、また影響を与えたかということに迫ったドキュメンタリーでもあります。
この映画も版権上、もう二度と目にすることはできないでしょう。
ボウイ展で満足していたのですが、突然思い立って明日観に行こう!と観てきて良かったです。
そしてこちらも最後の鑑賞になった「DAVID BOWIE is 」〈ボウイ大回顧展〉。
最終入場の20時少し前に入り、1時間程滞在しました。
映画で詳細な説明があった展示の解説文を、またメモしました。
とても空いていたので
ブラブラと散歩するように観てきましたが、
幸せな時間でした。
その空間には、別れや終わりという概念は存在していませんでした。
新たに生まれたものを認識しました。
かつては、自分自身が作品であると言ったボウイ。
でも死を悟ってからは、自分の存在は忘れても曲は覚えていてほしいと言っています。
自己と創造物が一体となり、ひとつの完璧な作品が死によってもたらされたのだと思います。
意識でコネクトできる世界に今、ボウイはいます。
メビウスの輪のような
表が裏に、裏が表の無限大の世界で
いつかまた、わたしたちは会えるのでしょう。
終わりと始まりは常に重なっているのです。