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映画『BESIDE BOWIE - MICK RONSON STORY/ミック ロンソンの軌跡 』

映画『BESIDE BOWIE - MICK RONSON STORY/ミック ロンソンの軌跡 』を観てきました。


アルバム3枚分、約4年の間、
タイトル通りDavid Bowie のかたわらにいたギタリスト、ミック ロンソンの生涯のストーリー。


私にはボウイとミック ロンソンの出会いよりも、別れの方に興味がある。二人の間には《袂を分かつ》というきれいな言葉では語ることができない複雑な感情があったのだと思う。嫉妬、焦り、後悔、悲しみ。
特にボウイには、自分自身をコントロールできなくなるほどの衝撃的な出来事だったはずです。


リック ウェイクマンが「Life On Mars 」のフレーズをピアノで弾きながら、〈普通はここでこう行くかと思うけど、彼のアレンジはこう来たんだ!〉とミック ロンソンのアレンジを説明するシーンは個人的に一番感激しました。
ストリングスのアレンジをミック ロンソンが手掛けていることはここで知りました。ウェイクマンの美しいピアノによる解説も良かったです。
転調によって宇宙が更にキラキラと広がっていく感じはロンソンの功績なのだと。そのことを知っただけでもこの映画を観てよかった。

 

 

才能あるミック ロンソンを切り離すということ…

グラムロックは飽きたということもあるのでしょうが、ボウイの嫉妬もあるのでは。ボウイは自分が思い描く世界を他のミュージシャンに伝えることで表現させてきたのだと思うのですが、自分が考える以上の世界観を他人が表現できるとしたら、どう思うでしょうか。ロンソンに対して屈折した感情は持っていたのでは。

アルバム『Diamond Dogs 』のアレンジ等にもロンソンが関わっていることも知り、それも踏まえて聴き直してみたい。もちろんミック ロンソンはアルバムにはクレジットされていません。なぜなんでしょうか。それもボウイの人間性が出ていてドラマな感じがします。


ボウイとロンソンはお互いがいなければ輝けなかった。とはいえ同じバランスであるはずがない。力量が互角だったとしても、スターと張り合うことはやっぱり出来ないのだ。しかもボウイは規格外のスター。

ロンソンが持っているエネルギーをボウイで使い果してしまったようにも思えるが、そうだとしてもそれは不幸なことではないと思う。ボウイのそばでギターを弾く。それ自体が輝かしいものだから。
ボウイのBeside にはその後もいろいろなギタリストが立ってきたが、ロンソンだけは特別で永久欠番的な存在であると思う。

 

B-side 

それと同時にこの映画は、

B-side つまりボウイのB面の話だと思いながら観ていました。

ボウイのB-side とは、才能ある人も自ら遠ざけてしまうほどの神経の細さ弱さ。それでも完全には切り離すことができないやさしさ。

ロンソンと別れた後、ボウイはドラッグに溺れ、その混沌とした世界観をアルバム『STATION TO STATION』に反映させるというところも含めて、ボウイのB-side なのだと。




遠ざける…。

何だろうなあ。自分が今書いていても迷いがあるのだけど、あえてロンソンを遠ざけたのかも、とも思う。

ロンソンが器用すぎて(人間は不器用だけど)この先、全部彼に頼ってしまうと全て素晴らしいものになってしまうという予感。

だからこそ離れないとダメになる。自分が成長する機会を奪われる?


人の心はわかりません。

 

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