ボウイ展 ‘DAVID BOWIE is’ in Tokyo 2017/1/8ー4/9
‘DAVID BOWIE is’ in Tokyo 天王洲 寺田倉庫 2017/1/24
‘DAVID BOWIE is’「ボウイ展」。
私にとって初めての鑑賞。
展示物とその情報量のあまりの多さに、状況を飲み込めず。
予想していた見学時間を大幅に上回り、時計を見てどっと疲れが出てしまい、
これでは、辺境にある家まで辿り着けない!
すっからかんになった脳と胃を埋めるために、とりあえず何か口に入れなくてはと、
ボウイカフェへ。
展示会場は5階にあり、エレベーターで1階に降りて右手に進むと、
意外に広めにスペースをとった、カフェテリアがありました。
平日の19時頃だったので、とても空いていました。
とりあえず何か甘いもの~と、お店のひとに
「何か甘いものはありますか?」とたずねると
マフィンを勧められたので、それとカプチーノを注文。
マフィンはキウイのジャムが入っていたようで、とても美味しかったです。
カプチーノも。
ボウイのコースターがもれなく付いてきます。
この顔の上に飲み物を乗せるなどまるで踏み絵のようで、ボウイ愛を試されます。
時間帯のせいかひとが少なく、静かで居心地が良く長居してしまいました。
その後、カフェの隣にあるグッズ売り場へ。
DAVID BOWIE is オレンジカラーのマグカップと、アンティークではなく新品、しかも日本製のファイヤーキングのマグカップ。ファイヤーキングは口当たりが柔らかくて、飲み物が一段と美味しくなるような気がします。
1階入口付近にある、フォトブース。
考えてみれば、これもジョナサン・バーンブルック氏デザインのポスターですね。
『★(ブラックスター)』から、今に至るまで良く目にしたデザインや書体ですが、(さかのぼれば『ヒーザン』からなのですが)彼のデザインは非常に観念的であると思います。
正反対である「普遍」と「唯一無二」が共存しているかのようなデザイン。
ありふれたデザインのように見えて、そこにしか存在しないように思えてきます。
精神でしか辿り着けない、そんな場所でしか見ることができない風景。
または、哲学的な思考をくぐりぬけて生まれ出てきた作品。
説明がうまく出来ません。
ボウイが、2002年発表の『ヒーザン』から彼のアートワークを採用しだしたのは、
とても深い意味があるのだろうと思います。
デザインの奥にある彼の精神性を感じ取ったのでしょう。
アルバムの内容と確実にリンクしています。
世界は普遍で満ち溢れていますが、
それぞれがひとつしかない特別なストーリーを持って生きている。
ボウイの世界観と、バーンブルック氏の世界観は、どこかで共通するものがあるのかもしれません。
‘DAVID BOWIE is’+ ( ) は、一体どれだけの言葉が当てはまるんだろう?
というくらい、たくさん目にしました。
どんな言葉でも当てはまるということは、
どの言葉も当てはまらない、ということと同じです。
つまり、正解などない。デヴィッド・ボウイに正解など求めても意味がない、
という意味がある言葉たちだったのかなと。
それさえも、バーンブルック氏のアートワークだったのでしょうか?
こちらもフォトブース。
この衣装ですが、本物はすごい重力を感じました。近くで見れば厚手のビニールのような素材ですが、遠目で全体を見ると黒くて艶のある陶磁器のようにも見えるのです。衣装というよりは美術工芸品です。
こちらもフォトブース。
『Life On Mars』のPVで着ていたスーツですね。
実物はPVで見るよりも、明るいペパーミントグリーンでした。
ウェストの位置がかなり高く、そして絞ってあります。
生地は見た感じ、シルクと麻の混合っぽく見えたのですが、とてもさわやかで軽そうです。衿が幅広でも全体がコンパクトな作りなので重く感じません。
仕立て、デザイン、色。
この衣装だけは特別にしたかった、という想いが感じられます。
デヴィッド・ボウイにとって『Life On Mars』は、盛装して歌うことを前提として作られた曲なのではないでしょうか。
自分の曲の中で一番大切な曲だったのではないかと私は思っています。