Dancing with an Angel

言葉を見つける追いかけるつかまえる

ブライアン ダフィー写真展 「Duffy/ Bowie-Five Sessions」

ブライアン ダフィー写真展

「Duffy/ Bowie-Five Sessions」を観に目黒のBlitz Galleryへ行って来ました。

住宅街にあるかわいいギャラリーです。

写真展のタイトルの‘5セッションズ’ですが、

ジギー スターダスト

アラジン セイン

シン ホワイト デューク

ロジャー

スケアリー モンスターズ

 

70年代に、これらの作品でボウイとブライアン ダフィーは

5回のセッションを行っている、ということなのです。

大回顧展「DAVID BOWIE is」でメインビジュアルになっている

アラジン セインの、目をガッと見開いた作品は

DAVID BOWIE is」を企画中に偶然発見された、

コンタクトシート(画像の一覧表みたいなもの)のワンカットだそうです。

 

目を閉じているカットは有名ですが、

見開いているのは、長い間埋もれていたそうです。

メインビジュアルからして貴重なのですね。

V&Aのセンスの良さと洒落心を感じました。

その貴重なコンタクトシートが、アラジン セインの他に

スケアリー モンスターズの例のピエロ扮装のもありました。

ロジャーもあったかな。ロジャーは、あのジャケット写真の撮影風景の写真でした。

テーマは‘落下する男’。初めて知りました。

ボウイの顔をワイヤーでやさしくひっぱり、

歪んだ表情を作っているのだそうです。

この懲りよう···。

このアイデアはボウイ自身が出したのでしょうか。

ピエロの扮装で何ポーズも撮られているシートを見た時は、ポーズの引き出しをたくさん持っている···自分の見せ方を良くわかっているひとだと思いました。

ボウイ展で何のコーナーか忘れてしまいましたが、確か解説文に「演じなくても演じられるようになる」というような何度読んでも理解できないボウイの言葉があったのですが、意訳すると、演じることを意識しなくても、つまり無意識でその人物になりきることができる、ということ?

ピエロのボウイはまさにそんな感じで自我を失って、ピエロそのものになっているように見えました。でも、自我を失っているように見せかけて、

演じている自分を冷静な目で見ているのだと思う。

デヴィッド ボウイが完全に無意識になる瞬間なんてあったのだろうか。

 

そんな風に演じている写真の中に、

プライベートな写真が2枚だけありました。

そのうちの1枚、ボウイが一人掛けソファーに座っていて、

左隣のソファーにスコティッシュテリアが座っている写真ですが、

ボウイが不安そうな表情で右側の方を見ているのです。あまり見たことがない表情でした。

ステージや撮影など異常な高揚感と、オフステージ。2つの世界を綱渡りをするようなバランス感覚で行ったり来たりする。その途中の不安な一瞬を捉えたような写真でした。

 

ボウイ展、写真展のはしごで、

私はボウイを見れば見る程、彼のことがわからなくなってきています。

デヴィッド ボウイの前では、方向感覚を失ってしまうのです。

きっとそれがたまらなく快感なのだと思います。

何もわからないまま、くるくると踊らされている。

わかろうとする気持ちを手放していい、

理解できないまま、進んで行っていいのだと楽になった気がします。と、いいつつわかりたいのですけど···。

蜃気楼を追いかけるようなものですね。