David Bowie『ラザルス』「No Plan 」
アルバム『ラザルス』CD2の「No Plan 」
歌詞を読んでも難しく理解できないところがあるので、自分勝手な解釈をするしかなく···。
CD1が、舞台『ラザルス』の主人公を苦しみから解放するというストーリーに沿った作品集であるならば、CD2はそれとはまったく違う、死と向き合うデヴィッド ボウイの個人的な感情を書き綴ったノート、そんな印象です。
最後のアルバム『★』よりもさらに踏み込んで、自分をさらけ出してます。
#2「No Plan 」
迷子になりながらたどり着いた場所。寄る辺ない心持ち。
それが天国なのかわからないけれど、予定外の場所に来てしまった。
というストーリーだと解釈しました。
もう地に足が着いていないようなふわ~っとしたボーカルで、全く心もとないです。
雲の上を歩いているような歌い方と詞の内容が怖いくらいリンクしてしまう。
もうそういう歌いかたしかできなかったのだと思いますが、今持てる全てひとつ残らずしぼり出すようにして作品に込めていることが痛いくらいわかり、胸に染みるのです。
何度も聴き、歌詞を読むと、
1番と2番で微妙に言葉の順番や音が違っていたりして、ここでもないと探しながら移動しているイメージがあります。
何度も出てくる“here”はそれぞれ違う場所なのかもしれません。
1番
“All of the things that are my life
My desire
My beliefs
My moods
Here is my place without a plan”
2番
“All the things that are my life
My moods
My beliefs
My desires
Me alone
Nothing to regret
This is no place
But here I am
This is not quite yet”
2番ではdesire(欲望)がmoods(気持ち)と入れ替わり複数になっていたりと、場所の移動とともに、気持ちも変化しているようです。
“This is no place”の〈this〉の音が、1番の同じ旋律〈Here〉より半音下がって、次の〈is〉もすごく気持ち悪い音なのですが、流れで聴くと美しい旋律になっています。
こんな短いフレーズでも、美しさの中にトゲがあるのを感じるのです。
今いる場所がどれだけ不安定かというのが、よくわかる部分です。
それにしても、予測がつかない音で難しい曲をよく歌えるなあと思いました。
たどりついた場所は、
〈自分を取り巻いていた全ての感情や環境、後悔も含めて全て“ここ”にはない
だけどここは、まだ自分の居場所ではない〉
〈not quite〉と強く否定してしています。
自分にとっての理想の場所を求めてさまよっているのは、ボウイさんよりはニュートンのイメージに近いかもしれません。
ボウイ目線だと、
もし死んでも、そうやすやすとこの場所で安穏に過ごすわけではない
天国だってすんなりたどり着けるとは限らない。
死んだら全てがゼロになるということに、疑問を呈しているのでは。
つまり、生きていても死んでいても場所が変わるだけでそう変わらないということ。
難解すぎる歌詞は、いかようにも解釈可能と
けむに巻かれたような気持ちになりますが、
そう簡単にひとの気持ちなんて理解できないし、全てさらけだすわけにはいかないということなのでしょうね。
曲自体は優しいけど、生易しくないです。
★おまけ
ボウイさんは“二番街”からこの曲を歌っていますが、アート ガーファンクルも「Second Avenue」という曲で、
“全ての思いは窓ガラスについた霜のように、溶けて消えてしまう
「僕は君なんだ」そう書いた
ここセカンド アヴニューにて”(意訳)
と、歌っています。
新しい場所、二番街から
別れた恋人への思いをつづる歌です。
離れた場所から、大切なひとへメッセージを伝えるというストーリーは共通しています。
たまたまだとは思いますが。
〈セカンド アヴニュー〉二番街というのは、近くて遠い、会えそうで会えない
パラレルワールドのような場所の比喩のようだと思いました。